娘 あっつん 発達障がい

発達凸凹

こんにちは!! あっつんです。 wordPressにログイン出来ず、頭を抱えておりました。

初心者はたくさん 学ばなきゃならないこと多いですね(笑)

おかげさまで解決したのと、一つ知識が増えました。

今日の小噺は 娘 あっつん 発達障がい について。

わたくし、あっつん 20代の頃は周りからも破天荒というあだ名をつけられるくらい

本当に自由気ままに過ごしてきました。 そんな破天荒は27歳の時に今の旦那さんと知り合います。

(このブログにもこれから この旦那 たびたび登場すると思いますので愛称は くそ旦那にします)

↑ 決してディスってるわけではなく、愛称です。

そんな くそ旦那と2年の交際の後、入籍するわけですが それから1年後 コウノトリさんが我が家に来てくれました。

色々、妊娠中はありましたが(いつか 小噺しますね。)妊娠42週で 促進剤を使い、その後

吸引分娩を経て 娘は誕生しました。

娘の名前は うーちゃんと言います。 我が家に家族が増えました。

このうーちゃんですが、この先 私の人生を本当ガラッと変える人物に成長していくわけです。

当時、わたしは育児書やらネットの情報やらを すごく頼りにしていたのですが、ある時から

その全てが参考にならないと感じるようになってきたのです。

3カ月検診があった時、くそ旦那のお友達とそのお子さんも来てたんですが、話をしてても

同じ月齢なのに何故か 話に入れないというか、話題についていけないと感じたのが最初の

違和感でした。

それからも、同じ月齢のいとこちゃんは 寝返りをうつけど、うーちゃんは ただの仰向けだったり

3か月目くらいから 夜中の夜泣き(尋常じゃないやつ)、日中日光を浴びると眩しがって

大泣き、4か月目には それまで母乳育児だったのに 突然の拒否。

離乳食は ほとんど 食べることなく もはやパンなどをちぎって与えると喜んで食べてました。

そんな変わったうーちゃん。

その当時、くそ旦那の地元の街で暮らしてたのですが、同じくらいの赤ちゃんを見ると

どうしても うーちゃんと比較してしまい やはり違和感が消えない毎日で

そこの小さな田舎町で暮らすことさえ しんどくなってしまった、あっつん。

けっこうメンタルダメージが大きくて いつの日か とうとう爆発してしまい 同居していた義母に

自分の地元に帰りたいことを伝えました。

義母は文句も言わず「そうしなさい!! ここは狭い町だから噂とかも すぐ回るし あっつんが

地元に戻ることで心が安定するんなら それがいいよ」と。

もう、、、、本当 優しい義母なんです。大好きです、義母。

その後押しもあり くそ旦那も とっても優しい人なので 転職をすることに。

3人で、今の居住地に引っ越してきました。

最初は 貯金もなかったので わたしの実家に間借りさせてもらって 育児もマミーに

助けてもらってました。 けれど、やはり うーちゃんの成長と共に私自身が

神経質になりすぎてるんでないのか?と、マミーにも じじ(あっつん父です)にも

毎日のように言われ続けて 今度は 実家からの引っ越し。

それでも、自分の中の違和感は消えることがありませんでした。

ちょうど、実家から引っ越しが決まる少し前に妊娠が発覚して うーちゃんの育児と

またつわりの毎日でしんどさもいっぱい。 うーちゃんは少しお姉さんになり

人よりは遅かったけど、無事 寝返りも出来るようになり そのあとはハイハイを短期間で

つかまり立ちするようになりました。けれど、今度は 言葉が出ないことに気づくのです。

自分がうーちゃんと言うのは 何となく分かってるようですが、発語はなく。

相変わらず、ミルクを飲むと すぐ寝ちゃうし、抱っこ紐で抱くと すぐ寝るし

寝てばかりだなぁ。。。と。 もちろん、寝ている姿は とっても可愛いし 寝る子は育つ

とも言うしなぁ…。と。

歩くようになったのは、うーちゃんが1歳を過ぎてからでした。

身長が平均より小さいため 彼女の視界って とっても低いんだろうなぁと目線を合わせて

周りをよく見てました。

その後も、彼女なりに成長は もちろんしていきます。 それでも、光に対する過敏さ、

遊び方にも独特なこだわり。 初めてのばしょへの強い不安、かんしゃく、発語なしと

弟が産まれてからも続きます。 

弟のゆーくんの発達具合が とてつもなく早く、10カ月で歩いて 言葉もパパから始まり

うーちゃんとゆーくんの差が顕著に表れてきたのが うーちゃんが3歳の頃でした。

その時には 私の中にも もう確信というか、きっと この子は何か人とは違うんだろうなと

毎日、彼女を肯定したり否定したり、そんな自分に自己嫌悪を感じたりの日々。

3歳児検診の際に、「異常ないですね」と保健師さんに言われた瞬間に

わたし、プツンと何かが切れてしまい その場で号泣しだしたんです。

「どこが異常ないと判断できるんですか?」と食ってかかりました。(大人げない…。)

その保健師さんは 発達はそれぞれですし、お母さんが神経質すぎるのでは??

もっと、余裕持って子育てしましょうと。

それでも、どうしても その言葉に違和感を覚えた私は 

「じゃあ、異常がもしあった場合、今の言葉に責任もてますか?育ててるのはわたしです。

ただ、数分 様子を観察したあなたではありません。どこに相談したら いいか教えて下さい!!」と

周りの目も気にせず 叫んでしまったのです。

その結果、後日 理学療法士さんと面談という形に結び付けてもらいました。

今、思うと 大人げない行動が うーちゃんとあっつんの運命を変えたと思ってます。(良い意味でね。)

理学療法士さんと私が住む地域担当の保健師さん(この方は検診の時と違います。)が

立ち合いの元、うーちゃんの様子を観察してもらい、私への普段のうーちゃんの様子の聞き取りなどを

経て、後日 その時の様子の中での発達状況を詳しく説明して頂きました。

【グレーゾーンだけど、どちらかと言うと障がいがある可能性は十分にある】

との事。 わたしは、ショックを受けるというより、

「あぁ。。。。やっぱり、自分の勘を信じて良かった!!」が 第一の感想でした。

発語や運動の様子を観察して 体の動きのぎこちなさや 一方的なやりとりなど

色々と気になる部分があるので 保健師さんに次年度からの保育園利用を勧められたのです。

当時、専業主婦だった私へも、パートなど気楽に何か始めて 少し子育てから

離れる時間も必要では?と提案されました。

この助言のおかげで ずっと不安の中で二人の子育てをしていた私に転機が訪れました。

言われたとおりに次年度、保育園に二人を入れることに。

保育園側にも最初から「グレーゾーンと言われてます。」と面談の時にお話しました。

その際「お母さん、大丈夫ですよ! うちには、個別の部屋もあるし、専門の職員も配置します。

うーちゃんだけではなく、そういう お子さんが他にもいるので安心してお預け下さい、みんなで

子育てしていきましょう」と言って頂けたのです。他人と関わることが 少なかった当時の

わたしには、その先生が神に見えました。(笑) 

うーちゃん、年少さんから保育園に通うことになりました。 さきほどの神先生のおかげで

保育園のすぐそばにあった療育センターの先生に保育園での うーちゃんの様子を観察

してもらうことになり、やはり その時の見解も 「グレーゾーン」。

療育センターにすぐ 問い合わせして 診察の予約を取りました。 その時点で「一年待ち」

言われて びっくりした記憶があります。なんだかんだで10カ月くらいで 診察の予約を入れることが

でき、いざ 療育センターへ!!

無知識のあっつんは そこで発達検査なるものをやるもんだとばかり思ってたら ちがってた!!!!

まずは、診察。先生の見解は 協調運動障害疑い、言語コミュニケーション障がい疑い ということで、そのセンター内でやっている ST、OTの受診をすすめられ、発達検査はまたそこから予約ということになりました。 そう、その発達検査までが長かった!!!!

診察後から、月一で うーちゃん ST、OTのリハビリがスタートします。

受け始めたのは 彼女が年中さんの後半でした。  

年中さんも終わりを迎える3月頃、子供たちがお家に帰ってきて 連絡帳を見てみると

「今日は避難訓練をして、実際に避難場所の高校まで歩いて避難しました。」と書いて

あったのです。 そこで、あっつん うーちゃんに

「避難訓練があったんだね!!」と話しかけると

うーちゃんが 頭をうん!!と縦に振り その後 「にげた」

一言 発したのです!! 強烈なパンチを食らわされた感覚でした。 こっちが驚き。

(え。。。今 しゃべったよ。。この子)

もう、そんなびっくり仰天。 うーちゃんの発語はこの時でした。5歳6か月。

それから、うーちゃんは洪水を起こしたように 色々な言葉を不明瞭では ありますが

お話出来るようになっていったのです。

年長さんになり、うーちゃんの就学問題。養護学校にいかせるのか、普通の小学校か

普通級なのか、支援級なのか、 支援級でも、情緒級か、知的級か。

そして、放課後等デイサービスは利用するのか?など、やること てんこ盛り。

教育相談の現場で田中ビネー式発達検査を行い、判定は 精神年齢2歳4か月。

ただ、親の問診部分が わたしけっこう厳しめの判断をしていたので 低い数値だったのかも

しれないと言われ、養護学校判定ではなく 普通小学校の知的学級を勧められました。

コミュニケーションの部分では一人遊びも多いけど 人との交流には何ら問題はないと

言って頂いたのが なんだか救いでした。

その後、ようやく 療育センターの方で発達検査が行われ 正式な診断がおりました。

『自閉スペクトラム症・軽度知的障害』 

正直その時の気持ちを言います。 すっごくすっごく 心が軽くなりました。ようやく、あっつんの

中でトンネルの出口が見えたんです。ずっと、グレーゾーンというモヤモヤした環境の中、

今後のうーちゃんを どうやって自立への一歩を踏み出せば良いか手段も分からず 不安で

いっぱいの毎日。泣くときもたくさんありました。 でも、診断名が付いたことで

今後の目標を明確に出来る!! そんな思いでした。

今回は、長い文章を お読みいただきありがとうございます。

うーちゃんとわたしの約6年間 本当に様々なもやもやや葛藤がありました。そんな

小噺。


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